転部
最初はサッカー部に入った。
理由は簡単。小学校のころサッカーをやっていたからだ。
でも所詮小学校だったので、指導を受けた憶えはない。
しかもGKだった。
入って1年?どれくらいだったかは覚えていないが、途中でやめた。
太ももが痛む、という理由。
今考えれば、ろくにストレッチもしていないし、ただのメンテナンス不足なだけだったのだと思うけれど。
そして、バレーボール部に入った。
今考えると、なかなかなことだったと思う。
当時は部活に入ったら、3年間続けるという暗黙の了解があった気がするからだ。
それでも担任の先生が副顧問?をしていたということも後押しして、入った。
決断としては悪くなかったと今は思う。
塾好き
塾が好きだった。
厳しい塾だった。
忘れ物にはビンタ。
まぁ私のいたクラスは成績上位者だったので、そんなことは起こりえなかったが。
でも好きだった。
あのピンと張りつめた感じ。
本気な感じ。
実際、塾に行っていてよかった~という瞬間の記憶は覚えていないけれど、授業中によく寝ていたのに、そこそこできていたことを考えると、確実に役に立っていたのだろう。
中3のときは2つの塾にいった。
地元の塾と大手塾。
大手塾は週に1回。
電車に乗っていった。
それが好きだった。なんとなく違う場所にいって、違う空気のもとで受けられる授業がよかった。
問題集はすごく説明が少なかったり、難しかった記憶がある。
でも、そこの空気感が好きだった。
適度な緊張感。
きっとこれが好きだったんだろう。
見返した瞬間
中学生時代はいくつも事件のようなものを憶えている。
中学校には、長距離走が得意な子どもを集めたプロジェクト部活のようなものがあった。
私はどちらかというと短距離ではあったけれど、運動神経のよさである程度カバーできるということもあり、ぎりぎり選ばれた。
でもやっぱり向いていないんだろうな~ しんどいのが続くの、しんどいし。
それでもなんとか練習を続けて、最後の大会となった。
普段そこまでタイムがよくない私は、ほかの大会で選手に選ばれることはなかった。ただ、最後ということもあり、記念出場というような感じで選ばれた。
自分なりにがんばった。結局それほどよいタイムではなかったと思っていた。
その後、実際のタイムがでた。
たしか全出場者中最下位かブービー賞だった。
そして、それをほかの選手たちに陰で笑われた。と記憶している。
実際はどうだかわからないけれど。
すごくむかついたし、悔しかった。
そうやっていっているメンバーは、各部活でリーダーのようなメンバーだった。
絶対見返してやる。そんな気持ちになった。
本当に悔しかった。
その後、私はサッカーの強い学校に行った。学業成績が彼らよりよかったので、選択できる余裕があったのだ。
見ておけよ、と思った。
家から2時間近くかかる高校にいった。強豪校だ。県大会のベスト8以上が常連だった。
ある大会の準決勝。自分の地元の近くで試合をすることがあった。
私は選手。ちょうどそのとき、中学時代の同級生にあった。
私を笑ったやつらだ。
同級生は、会場案内をしていた。
どうだ、みたか。
そんな気持ちを持った。
もちろん彼らにはそんなことも言わなかった。
でもずっと抱えていた彼らに対する悔しさがそこで消えた。
そして、もうどうでもよくなった。
中学生の居場所
中学校に入った。
引っ越したので、だれも知らない状態。
どんな気持ちだったのだろう・・・
とにかくここで生き抜かなきゃという感じかな。
学級は10クラス。普通1年生のクラスは1階のハズなのに、なぜか4階だった。
すごく嫌だった。
担任にはあだ名がついていた。だれがつけたのかな。副担任は女の英語の先生だった。
そのころいつも不機嫌だったような気がする。
いつもイライラしていたような気がする。
それがかっこいいと思っていたのかな。
いろんなことに腹が立っていた。
特に、私が好きだったアーティストの影響もあったと思うけれど、校則がとても嫌いだった。
よく先生に反発していた。
今思うと申し訳ないが、反発して授業を飛び出したりした。
でも、そこまで。それ以上のことはやらなかった。
1年のときのクラスに、いわゆる「ヤンキー」と呼ばれるような女の子がいた。
その子に、「おまえの顔、気持ち悪いわ」と言われた。
ちょうどそのころ黒縁メガネが流行っていて、それで自分の顔を隠していたような気がする。
居場所がなかった私は、とにかく自分の立ち位置を早く確立しなければならなかったのかもしれない。
はいった部活はサッカー部だった。小学校のとき、サッカー部だったということもあり、志望したのだと思う。
なんだか変なあいさつを憶えている。
「ちょーす」「さーらー」
こんなあいさつをしなければいけないといわれていた。
中学1年生の自分に、それを逆らう力もなく・・・
ありがたいことに、運動神経がよかった。
小中学校は、だいたい運動神経がよければ、生き抜ける。
私にもそれは同様だった。
また、ありがたいことに、そういう運動ができる子を表彰するようなシステムのある中学校だった。
おかげで、なんとか居場所ができたような気がする。