爆竹とセミ
小学校のころから、やややんちゃ気味だった。
クラスメイトにプロレスごっこのようなカタチで暴力をふるったこともあった気がする。そういう残虐性が時折顔を出していた気がする。
でも、それは中学年くらいのころだったのかな~
よく田舎でセミに爆竹を結び付けて破裂さしたりもしていた。
こういう暴力性や残虐性というのはどうなんだろうか。
ただ、高学年になるにつれて、それはなくなっていた。
なぜだろう。
一気に背が伸びたからかな。数か月で12センチくらい伸びた記憶がある。
成長痛が痛くて痛くて寝られないときもあった。
今考えば、そのときの成長を考えれば、当たり前のことなんだろうけど。
背が大きくなるについて、そういったことはなくなっていった気がする。
牛乳の買い出し
父の背は低い。
なぜ背が低いのが嫌だと感じたのだろう。
よく覚えていないけれど、とにかく背を伸ばしたかった。
だから、たくさん煮干しを食べたし、牛乳も飲んだ。
一時は1日に2本なくなるんじゃないかっていうくらい飲んだ。
そして、週に2回ほど、牛乳を売りに来ていたトラックがマンションに来ていた。
おそらく牛乳だけ売っていたわけではないと思うけれど、トラックが来ると、そこまで買いに出かけたことを憶えている。
親と買い物にいった記憶はあまりない。母が働いていたからかな。
生協をとっていたことを憶えている。
ウインナーが独特だった気がする。
あぁだからあまり買い物に出かけた記憶がないのかもしれない。
だから、生協でも牛乳は買っていたと思うんだけどな・・・
間に合わなかったのかな。
いずれにせよ、必死に背を伸ばそうとしていたことは確かだと思う。
公園とスキー
家の近くだったわけではないが、緑地公園があった。
そこには草が生えた幅の広い坂があった。
そこを自転車ですごいスピードで降りていっていた記憶がある。
スピードといえば・・・よくスキーに連れていってもらった。
まさにスキー全盛のときだったかもしれない。
土日に行くと、リフト待ちがすごいことになっていた記憶がある。
リフトに乗るまでに何十分も待っていた。
すべってくるとき、まだうまくターンができなかったということもあり、ほぼ直滑降。すごいスピードを出していたと思う。
スキーの思い出といえば、ちょっと上級コースにいったときがあった。
その急な斜面とコブにややびびっていた私をしり目に、父親はどんどん下にすべっていってしまった。
もう自分でなんとかするしかない。すべらなければ、降りられないのだ。
すごくつらくて、父親に対してなんだよ~~という思いになったことを憶えている。
でも、晴れた日にリフトから見える景色はとても好きだった気がする。