モップ投下事件

友だちがモップを3階から投げた。

先生が怒って駆け上がってきた。

私に疑いの目を向けた。

証拠はあるのか?と歯向かった。

もちろん私は投げていない。

ここぞとばかりに責めた。

土下座しろと言い放った。

どうなったかは覚えてないけど、たぶん土下座はしなかったのだろう。

 

見返した瞬間

中学生時代はいくつも事件のようなものを憶えている。

中学校には、長距離走が得意な子どもを集めたプロジェクト部活のようなものがあった。

私はどちらかというと短距離ではあったけれど、運動神経のよさである程度カバーできるということもあり、ぎりぎり選ばれた。

でもやっぱり向いていないんだろうな~ しんどいのが続くの、しんどいし。

それでもなんとか練習を続けて、最後の大会となった。

普段そこまでタイムがよくない私は、ほかの大会で選手に選ばれることはなかった。ただ、最後ということもあり、記念出場というような感じで選ばれた。

自分なりにがんばった。結局それほどよいタイムではなかったと思っていた。

その後、実際のタイムがでた。

たしか全出場者中最下位かブービー賞だった。

そして、それをほかの選手たちに陰で笑われた。と記憶している。

実際はどうだかわからないけれど。

すごくむかついたし、悔しかった。

そうやっていっているメンバーは、各部活でリーダーのようなメンバーだった。

絶対見返してやる。そんな気持ちになった。

本当に悔しかった。

その後、私はサッカーの強い学校に行った。学業成績が彼らよりよかったので、選択できる余裕があったのだ。

見ておけよ、と思った。

家から2時間近くかかる高校にいった。強豪校だ。県大会のベスト8以上が常連だった。

ある大会の準決勝。自分の地元の近くで試合をすることがあった。

私は選手。ちょうどそのとき、中学時代の同級生にあった。

私を笑ったやつらだ。

同級生は、会場案内をしていた。

どうだ、みたか。

そんな気持ちを持った。

もちろん彼らにはそんなことも言わなかった。

でもずっと抱えていた彼らに対する悔しさがそこで消えた。

そして、もうどうでもよくなった。

中学生の居場所

中学校に入った。

引っ越したので、だれも知らない状態。

どんな気持ちだったのだろう・・・

とにかくここで生き抜かなきゃという感じかな。

学級は10クラス。普通1年生のクラスは1階のハズなのに、なぜか4階だった。

すごく嫌だった。

担任にはあだ名がついていた。だれがつけたのかな。副担任は女の英語の先生だった。

そのころいつも不機嫌だったような気がする。

いつもイライラしていたような気がする。

それがかっこいいと思っていたのかな。

いろんなことに腹が立っていた。

特に、私が好きだったアーティストの影響もあったと思うけれど、校則がとても嫌いだった。

よく先生に反発していた。

今思うと申し訳ないが、反発して授業を飛び出したりした。

でも、そこまで。それ以上のことはやらなかった。

 

1年のときのクラスに、いわゆる「ヤンキー」と呼ばれるような女の子がいた。

その子に、「おまえの顔、気持ち悪いわ」と言われた。

ちょうどそのころ黒縁メガネが流行っていて、それで自分の顔を隠していたような気がする。

居場所がなかった私は、とにかく自分の立ち位置を早く確立しなければならなかったのかもしれない。

はいった部活はサッカー部だった。小学校のとき、サッカー部だったということもあり、志望したのだと思う。

なんだか変なあいさつを憶えている。

「ちょーす」「さーらー」

こんなあいさつをしなければいけないといわれていた。

中学1年生の自分に、それを逆らう力もなく・・・

ありがたいことに、運動神経がよかった。

小中学校は、だいたい運動神経がよければ、生き抜ける。

私にもそれは同様だった。

また、ありがたいことに、そういう運動ができる子を表彰するようなシステムのある中学校だった。

おかげで、なんとか居場所ができたような気がする。

駄菓子屋

小学校にいく途中に駄菓子屋があった。その前に公園があった。

その公園ではお祭りなども行われていた気がする。

その駄菓子屋で、週刊ジャンプを買ったり、月刊ジャンプを買ったりしていた。

キン肉マン消しゴムのガチャガチャもよくやっていた気がする。

そこまで来ると、学校からちょうど半分くらいの距離になるという記憶もある。

貸レコード

たぶん小学6年生のころ、すごく影響を受けた歌手に出会った。はじまりは父親の興味だったと思う。当時親が好きだったドラマで、その歌手の歌が流れた。

当時、近くに貸レコード店があった。

そこに借りに行った。

確か漫画を立ち読みできるところだった気がする。

結構ひまつぶし?ではないけれど、通っていた気がする。

家かマンションか

小学6年生、私が中学に上がるという時期に、引っ越すか、という話になった。近くのK市の分譲住宅地を見に行った。

まだ区画整理されただけの土地もあった気がする。

そのなかで内覧した家に、シャワーのついた洗面台がすごく印象的だった。

いくつかみて、家族でいろいろ話しをした。

ただ、自分にはどうしてもゆずれないところがあった。

それは、「坊主頭」

今では考えられないけれど、その地区は、中学生になると、男子は全員坊主になるというところだったのだ。

そのとき住んでいたところは、まったくそんなことはなかった。

さすがに坊主はかなりいやだった。

だから、いやだといった気がする。

結局家を買うことはなく、私の部屋が確保できるだけの部屋数のあるマンションに引っ越すことになった。

そして、引っ越してしばらく、電車通学だったことも覚えている。

妹とともに通学していた。